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VERMICULAR

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Jérôme Quilbeuf

ジェローム・キルボフ

Nonna maria / Barcelona

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Jérôme Quilbeuf

Profile

ジェローム・キルボフ

 モダン・スパニッシュブームの先駆けとして知られるスペインレストラン「サンパウ」。創業者は女性として世界ではじめてミシュラン7ツ星(3ツ星1軒、2ツ星2軒)を獲得したカルメ・ルスカイェーダ。その右腕として頭角を現したシェフ、ジェローム・キルボフは、世界を飛び回り、料理で人と人とをつなぐ。

 ジェロームはフランスに生まれ、10代から料理修業をスタート。20代でパリからバルセロナへ移住した。「バルセロナ・ホテルヒルトン」のシェフとして活躍中に「サンパウ」の料理を体験し、その感動からカルメへの弟子入りを決意。入店からわずか1年という異例の速さでアシスタントシェフに昇進。後に「サンパウ東京」のエグゼクティブシェフとして4年間日本に滞在した経歴を持つ。

 「サンパウ東京」は、支店の誘いを断り続けてきたカルメが、はじめて海外出店を決めたことで大きな話題を呼んだ。それほど重要な店のシェフを、スペイン出身ではないフランス人の自分が務めていいのか。戸惑うジェロームにカルメは「あなたがミシュラン東京の星に最も近い人物」と答えたという。予言通り、ジェローム率いる「サンパウ東京」は2ツ星を獲得する。



 日本滞在を通して和食から様々なインスピレーションを受け、ジェロームの料理は有機的な変化と成長を遂げる。そしてついに「サンパウ」本店のエグゼクティブシェフに就任。3ツ星レストランの味を支え続けた。

 その後、ジェロームはバルセロナに拠点を置きながら、自身のピザ店「ノンナマリア」をオープン。他にもローカルキュイジーヌのカジュアルダイニングのコンサルティングなども務める。2019年からは日本に世界中のスターシェフを招待する、大規模なイベント「COOK JAPAN PROJECT」を成功させている。愛情深くチャーミングな人柄で、世界中のシェフたちから慕われるジェロームの存在なくしては実現できなかった企画だ。

 ジェロームのキャリアの礎となった「サンパウ」は、本店のオープンから30年以上経ち、東京店は15年を迎えた。フランス人シェフとして、スペインと日本の食文化を軽やかにつなぎ、融合させ、さらなる高みへと導いた料理人としての功績は、カルメだけでなく誰もが認めるところだ。

 「サンパウ」でカルメの料理をはじめて食べた瞬間、私の人生は大きく変わりました。その感動を一言で表すなら「一枚の皿の上ですべての素材が生きていた」。食材の加熱状態は一つひとつがベストであり、旨みと風味、食感と色彩がくっきりと際立っていました。当時まだ「サンパウ」は現在ほど有名ではないうえ、創業者であるカルメのことを知らなかったにもかかわらず「これこそ私がつくりたい料理の理想形だ」と確信しました。すでにホテルのレストランシェフだった私でしたが、今まで自分がつくったり食べたりしてきたものすべてが、まったくつまらないものに感じたほどだったのです。

 「サンパウ」の料理のベースはスペインの郷土食で、コンセプトは「地産地消」。ですから、私がエグゼクティブシェフとして東京店を任されることになったときもそのコンセプトに沿って、食材は日本のものを使い、東京店オリジナルメニューをつくることにしました。

 4年間の日本駐在の後、スペインに戻ってからもメニューの更新のために3カ月に一度、約3週間ずつ日本に滞在しました。つまり1年のうち4分の1を日本で過ごす、ということを数年にわたって続けたのです。時間の積み重ねのなかで、昆布や鰹節と水だけの“だし”で信じられないほど風味豊かになる和食の素晴らしさにも出会っていきました。

 カルメもたびたび日本を訪れたので、ともに国内各地を回りながら優れた食材を探し、東京店だけでなくスペインの本店でも使ってみたいと興味がそそられる乾物や調味料をたくさん見つけました。そのいくつかは今も定番の材料として「サンパウ」の味を支えてくれています。



 このように「サンパウ」と「サンパウ東京」は、単に本店と支店という枠を超えた関係です。「サンパウ東京」があったことによって、本店の「サンパウ」も進化し続けられた。その結果30年以上の歴史を紡ぐことができたのですから。

 スペインと日本は、距離こそ遠く離れていますが、素材を活かし、シンプルな味つけでいただく料理である点は両者に共通しています。それに日本の食材をスペインの店に取り入れることで、日本を訪れたことのないお客様にもその魅力の一端を伝えられますし、逆に東京店でも、調味料はスペインのものを使うことに不自然さは感じませんでした。その融合は必然であり、私自身、料理人として日本から学んだことはとても大きかったと思っています。

Recipe

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材料:比内地鶏胸肉、蒸しひじき、パースニップ、さくらんぼ、アマランサスの葉、黒文字の枝

秋田を訪れた際、山菜採りの名人とともに山に入り、ヨーロッパでは嗅いだことのない独特の芳香に魅せられたという黒文字。この枝を燻し、比内地鶏や日本海のひじきに香りを移した、シェフの旅の思い出を表現した料理。好奇心とアイデアにあふれながらも、素材一つひとつの個性を活かした穏やかな味わいから、日本の食材と自然への敬意が伝わる。

 当初は、日本からの影響をフュージョン料理として表現していたのですが、その手法がだんだん複雑になっていき、ある時期「ちょっとこれは違うのではないか」と立ち止まりました。そもそも和食の魅力とはだしと水を骨組みとしたシンプルなもの。だからこそ健康的なのです。そしてその考え方は、スペイン料理でも基礎になりうると思いました。そこから軌道修正し、旬の素材を主役に据え、料理が徐々にシンプルに、かつヘルシーになっていったことは、私にとって大きな進化だったと感じています。

 バルセロナで自ら立ち上げたビジネスがピザ店であることを意外がられますが、私としては、長く働いてきた「サンパウ」の競合となる店をつくってお客様を取り合うようなことは避けたかったのです。加えて、すべての人に開かれたレストランにしたいという想いから「ノンナマリア」というピザ店をオープンしました。

 ピザならば、お金があってもなくても気軽に食べに来られます。実際に私の店では、バルセロナの有名サッカー選手も、清掃業の若者も、人気俳優も、近所に住むおじさんも、店に来てくださったお客様は社会的な立場に関係なく、隣り合った席で食事をしています。

 それでもイタリアでピザ店を開こうと思ったら、本場の地ゆえの制約を感じたことでしょう。しかしバルセロナであれば、必ずしもソースはトマトソースでなくてもいいし、より自由に解釈を広げてピザという料理に向き合うことができます。それも楽しそうだと思いました。

 立地が中心街ではなかったため、オープン当初は店を知っていただくための話題づくりが必要でした。そこで、これまでの人脈を使い、ミシュランの星付きシェフの友人を週替わりで招いて、彼らのオリジナルピザをうちのキッチンでつくってもらうコラボレーションを実施したのです。

 記念すべき一人目のシェフは「サンパウ」のカルメにお願いしました。もちろん大評判となりましたよ。「エルバリ」のアルベルトも来てくれました。このコラボレーションによって、生涯で一度も星付きレストランへ行ったことがないというお客様にも、そうした一流店のシェフの料理を食べるという体験をしていただける。そのことにお客様が喜んでくださる姿を見ると、私も幸せになります。

 私がコンサルティングした店は、気取りのないローカルキュイジーヌがコンセプトです。スペイン人なら誰でもホッとするような家庭的な料理ですが、素材の質にはこだわり、家の食事では得られない満足感を提供しています。厨房では「バーミキュラ」が大活躍で、バーミキュラの名前を入れたメニューも出していますよ。

 バルセロナを拠点にしながらも、世界中のシェフと交流があるのは「サンパウ」時代、カルメが世界各地の料理イベントに呼ばれるたびに、私もアシスタントとして同行していたからです。カルメはすべての料理人にとって雲の上の人でしたが、隣にいる私は誰とでもワイワイ楽しむのが好きな性格なので、親しみやすい存在だったのでしょう。行く先々で料理人仲間が増えていきました。

 そんな仲間たちと実現させたのが「COOK JAPAN PROJECT」です。各国のスターシェフたちを期間限定で日本に招き、数日間日本の食材を使った特別な料理を提供する。2019年4月から2020年1月までの企画でしたが、日本にいながら世界のシェフの味を楽しむことができ、さらに日本でしか味わえない食材とシェフの化学反応が高い評価を得て、期間を延長してほしいというオファーが来るほど大成功しました。

 このイベントを企画した背景には、私の日本に対する想いがあります。たくさんの国々を旅してきましたが、日本はやはり特別だと感じています。食材のクオリティと多様性、水の美しさや土地の利点を生かしながら純粋な方法で料理をすること、そして料理人の技術を見ても、日本人はガストロノミー界においてトップオブトップ。これは私だけでなく、海外からシェフ仲間を招いて日本を案内するたび、彼らも揃って同じことをいいます。

 何より日本料理が素晴らしいのは、健康的であること。もちろんスペイン料理もオリーブオイルがベースのヘルシーな料理ではありますが、だしを基本にしている日本にはかないません。それがフランス料理となると、バターやクリームなしにつくれる料理はどれほど少ないことか、想像が付くでしょう。

 我が家は料理人の家系で、料理を生業にしている親戚がたくさんいました。その影響もあって、小学生になると精肉店を営む祖父の店の手伝いをするようになり、自然に料理の道へ進みたいと考えるようになったんです。

 15歳で調理専門学校へ入り、学校以外にもレストランでアルバイトをしながら必死で技術を身に付けました。20代でバルセロナへ渡り、当時勤めていたホテルの料理長に勧められて応募したヤングシェフコンテストで入賞。その審査員を「サンパウ」のカルメが務めていたことで、副賞に「サンパウ」の食事券をもらい、店に食べに行ったことが私の運命を変えました。

 厨房では海外製の鋳物ホーロー鍋も使ってきましたが、数年前、友人の紹介でバーミキュラの鍋のことを知りました。バーミキュラには、大量生産されている製品とはあきらかに違う、ハンドメイドならではのエネルギーが宿っていると、最初に触れた瞬間から感じました。

 愛知県の工場を訪れてみると、私の目には、そこは工場というより「職人たちの工房」に映りました。職人が手作業で、0.01ミリの精度を基準にものづくりをする姿を見て、こうした人間的な場から生まれた製品だからこそ私のハートに響いてくるものがあったのだと納得しました。

 そうした感覚は料理人にとって何よりも大切です。とくに調理道具は仕事を支えてくれる重要な存在ですから、使うたびによいエネルギーを受け取れるものを選びたい。バーミキュラには、それがあります。

Recipe

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材料:パイナップルピューレ、ココナッツラペ、アーモンドプードル、ベーキングパウダー、卵、グラニュー糖、ラムダーク

乳製品も小麦粉も使わない、グルテンフリー&ラクトースフリーメニュー。健康志向が強い人、アレルギーを持つ人、自宅にオーブンがない人でも楽しめるデザートを、というコンセプトから生まれたケーキ。材料を混ぜた生地を型に入れ、底にお湯を張ったライスポットで蒸し焼きにしたら完成。バーミキュラの特性を生かした、シンプルながら、体にやさしく沁みわたるような自然な甘みが印象的。

 フィーリングのよさの背景には、私自身とバーミキュラのストーリーにいくつかの共通点があることも影響しているのかもしれません。お互い小さな存在から、よいものをつくりたいという純粋な気持ちと情熱を糧に、地道に努力を重ね、世界を舞台に仕事ができるところまでステップアップしてきた。

 また、私は料理人として、バーミキュラは調理道具として、人が生きる上で最も大切な「食べる」という行為に関わっています。食べることは、体のなかにエネルギーを取り込むこと。そのとき、自分の体調やライフスタイル、季節に合ったものを、できるだけ素材を活かしたシンプルな形で取り入れられてこそ、食べものは生きるエネルギーとなってくれます。

 バーミキュラの鍋を使って料理をすることは、何より大切なそのことを、お客様やシェフ仲間たちに伝えていくことであり、私なりのバーミキュラとのコラボレーションでもある。そんなふうに考えています。

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